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1902.2.3 聞慶郡麻城面梧泉里に生まれる
 

1908   書堂に通学

1910   公立普通学校入学
 

1915   京城公立普通高等学校入学、日本人教員から幸徳秋水 の天皇暗殺計画の話を聞き思想的影響を受ける
 

1919.3   3.1運動に参加、独立新聞発行、檄文を散布
 

1919.10   学校を中退、故郷に戻った後、東京へ渡る、新聞配達、製ビン工場、人力車夫、ワンタン屋、夜警、深川の立ちんぼう、中央郵便局の臨時配達夫
 

1920.中頃  血挙団を組織 
 

1921.10   義挙団に加入
 

1921.10   本郷駒込で友達と間借り生活
 

1921.11.29 黒濤会、結成
 

1921.11月末か12上旬頃 朴烈が京橋区南小田原町、柴田武福を訪ねる。その晩の朝鮮基督青年会館演説会での演説依頼をする
 

1921.12月上旬か4日、岩佐作太郎方忘年会に出席、柴田、杉本貞一、神田区仲猿楽町カフエ「豊生軒」に立寄り、吉原に泊まる。

翌朝、柴田方で雑談の末「外国には爆弾が在るかと」尋ねる、杉本が答えると「夫れは至極好い物だ、是非夫んな物が欲しい」(杉本は後に出鱈目と供述)
 

1922.1.4  11名の連名で『朝鮮日報』紙、1月4日号に「同友会宣言」を発表
 

1922.2頃  上海臨時政府の一員、崔?鎮から破壊計画 を伝えられる。
 

1922.3.7  秋田雨雀を訪問、『秋田雨雀日記』280頁
 

1922.4   淀橋署に16日間検束。<英国皇太子来訪のため予防拘束>
 

1922.4-5 金子文子と同棲、東京府荏原郡世田谷池尻412 相川新作方二階 現在地 世田谷区池尻2-31-15から17、国道246号下り方向「池尻」バス停辺り

2003年10月、世田谷区立中央図書館調べ、現地確認
 

1922.7.10『黒濤』 創刊号、東京府下世田谷池尻412  黒濤発行所、発行人兼編集人兼印刷人 朴烈 「直接行動の標本」烈生
 

1922.6.5「ボロ長屋の二階より」金子活浪、朴烈「朴烈から」
 

1922.8.10 『黒濤』第二号 「此の態を見て呉れ」烈生 

「思ったこと二つ三つ」ふみ子 

「東支線駐屯の日本軍」烈生 

「ボロ長屋の二階から」金子文子 

「朴烈から」    

「朝鮮光州に印刷職工の罷業」烈 

「栄養研究所所長佐伯博士に」ふみ子
 

1922.8   信濃川虐殺真相調査会が組織され調査委員として参加
 

1922.8頃 新潟現地調査に赴く。<新居格の信濃川虐殺に関する論文に、イニシャルBとあるが朴烈の事か>
 

1922.9.7  調査会主催「新潟県朝鮮人労働者虐殺問題演説会」朴烈は現地調査を報告
 

1922    ソウルの思想研究会から招待され「信濃川虐殺真相報告演説会」に出席
 

1922.9   ソウルで義烈団員周辺にいた、金翰と会う
 

1922.10.2  大島製鋼争議支援
 

1922.11   黒濤会分裂
 

1923.11   黒友会を組織
 

1922.11   再びソウルで金翰と会う。爆弾の件
 

1922.11.7頃  『太い鮮人』第一号 枠外に「フテイ鮮人」と記載

「×××××取締法案」朴烈

 「日本人の自惚れた朝鮮観に就いて」烈生

「破れ障子から」金子文子、朴烈 『太い鮮人』はモット早く出る筈だったが朴烈が例の信濃川の

虐殺事件で現場へ行ったり所用有って朝鮮落ちをしたりで遅れた

1922.12.19 頃 『太い鮮人』第二号

「亞細亞モンロー主義に就いて」朴烈

 「所謂不逞鮮人とは」朴文子

「学者の戯言」烈生 

「破れ障子から」文子

去四日朴烈が京城から病魔に護衛されて帰ったりオマケに十五日許り寝込まれたので

スッカリ喰い違って四苦八苦の揚句ヤット今日印刷屋へ廻すべく漕ぎつけた

「朝鮮の詐欺共産党」烈生 

「朝鮮古代芸術を排す」烈生
 

1923.1   秘密結社、血拳団組織
 

1923.1   ソウルで金翰と会い爆弾入手依頼
 

1923.3   黒友会機関紙『民衆運動』朝鮮文、創刊 
 

1923.3.15  『現社会』第三号 世田谷池尻412 「××」烈生  

註 タイトル、本文テキスト全て潰れていて不明。「×もなし」

「働かずにどんどん食ひ倒す論」朴烈、

後に獄中で執筆する同タイトルの論文とは内容が異なる 

「在日鮮人諸君に」金子ふみ 

「朝鮮○○記念日」金子ふみ

「破れ障子から」文子
 

1923.3   金子文子と東京府豊多摩郡代々幡町代々木富ヶ谷1474 番地に移る。

現渋谷区富ヶ谷1-28 NTT裏辺り 2003年5月 現地確認
 

1923.4   不逞社を組織
 

1923.4   東亜日報主筆、張徳秀への殴り込みで神田署に検挙される、

市ヶ谷刑務所に送られ既決囚扱いで頭髪を刈ろうとする看守と乱闘
 

1923.5.1  金子文子はメーデーに参加
 

1923.5   来日したばかりの金重漢に爆弾運搬依頼
 

1923.5.21  朴烈、新山初代を訪問、不逞社への入会を勧める。 

本郷区駒込蓬莱町一八、現文京区向丘二丁目、2002.11確認
 

1923.5.27  不逞社第一回例会、朝鮮の運動がテーマ
 

1923.6    金重漢に爆弾の件を取り消し
 

1923.6.10  不逞社第二回例会、望月桂を招く
 

1923.6.17  不逞社第三回例会、加藤一夫を招く
 

1923.6.28頃 不逞社第四回例会、中西伊之助出獄歓迎会
 

1923.6.30  『現社会』第四号 
 

代々木富ヶ谷 「朝鮮の民衆と政治運動」朴烈

「朝鮮の衡平社運動に就いて」朴烈

「スッパ抜キ」バクレツ 

「或る会話」金子ふみ 

「破れ障子から」文 実は同志十名許りが……メーデーの夕方丁度にも再び裟婆へとオッポリ出された……

……メーデーの日、私は他四五名の同志と共に……愛宕署の御厄介になって……一夜を明かした……… 

府下代々木富ヶ谷1474 現社会社 省線原宿、市電渋谷下車 名教中学下 <現東海大附属高校>
 

1923.7.15  不逞社第五回例会、親日派の『東亜日報』記者を殴る
 

1923.8.3   黒友会主催「朝鮮問題演説会」神田基督教青年会館で開く
 

1923.8.10  黒友会、臨時例会、解散を決める、金重漢が爆弾計画の話を暴露 
 

1923.8.11  不逞社第六回例会、馬山のストライキの話題、金重漢と論争
 

1923.8.29  警視庁が新山初代を訪れ不逞社の動向を訪ねる   
 

1923.9.1  午前中、滝野川、高麗社にいる張祥重を訪問
 

1923.9.2  四ツ谷の布施弁護士を訪ねる